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松島匠建代表の松島克幸です。
まずは、自己紹介を兼ねて私のこれまでの歩みをお話します。

20代の前半~半ば(なかば)は家業の林業を継ぎ、
20代の後半~30代前半はサラリーマンでした。
今から13年前の33歳に、建築の道を決意!しました。

20代の後半でサラリーマンになったきっかけは、当時、電線関係の製造をしている知り合いの会社で、社内の中国語講座をやっていまして、多少の中国語をかじっていた私は、更に語学力を伸ばそうと思い、その講座の仲間に入れて頂きました。
そんな折、その会社において、香港に工場進出の計画が立ち上がり、香港担当として私に白羽の矢が立ちました。
何かと迷いはありましたが、当時独身の身であった私は香港行きを承諾して入社いたしました。
いよいよ香港進出の矢先に、あの歴史に残る「天安門事件」が起こり、香港進出は白紙となりました。
それでもその会社では私に、新規事業関係の仕事を担当させて下さり、米国・台湾・タイなど国内外の出張を始めとして、多くの貴重な体験をさせて頂きました。

前置きが長くなっていますが、そんなサラリーマンを続けてはいたものの「自分が本来やるべき職業(いわゆる“天職”)は何か?」と、悶々と考えることが多くなった矢先に、ある日の山形県への出張先の宿泊において、大きな心の転機が訪れました。
その宿泊先の宿舎(ペンションの様なところ)が、地場の木材をふんだんに使った建物であって、とても気持ちが休まった中で、直感的に思いが走り始めました。

「我が家は代々受け継がれてきた山林を所有し、私もその山や木と共に育ってきた。 それら山の木は、“祖父さんや親父の、育てた苦労と孫子への思い”が浸み込んでいるものだ、しかし今その木は、伐って売れる値段は二足三文の安い値段である。 しかし、“自らが手掛けて木を活かし、住宅にふんだんに活用する”ことで、木もご先祖様も喜んでくれる筈だ!」
と、そこで自分の天職を悟り、建築の道を決意しました。
まずは、大工の見習いからスタートが始まり、同時に夜間の職業訓練校建築技能コースへも通いました。
(次まだ続きますが、今日はここまでにします)
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2005.05.12 Thu l 起業の足跡 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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